今日のオーストラリアは典型的な「成功した多文化社会」である。それに反対する極右派 政治家が少数はいるものの、多文化主義への幅広い支持が存在する。しかし、およそ半世紀 前まで、オーストラリアはアングロケルティック系白人という単一人種のヘゲモニーによ って形作られた、彼らにとっての理想的な社会であった。 19 世紀にやって来た中国人やいわゆる「ア フガン人」ばかりでなく、ヨーロッパ大陸の南部から来た人たちでさえ、受け入れ社会に同化 しなければならなかった。こうして言語や文化を「失った」多くの人たちは、同化を強制さ れたと感じるようになった。 この報告では、当時の、自称単一民族社会であった「白人」のオーストラリア社会におい て、人種に基づいたヒエラルキーが当然とされていた時代を生きた日本人たちと、アングロケルト系やその他の 民族や人種との関係に、音楽 (すなわち歌うこと、音楽を奏でること、および踊ること)が 果たした役割について扱うことにする。それは、現在ではオーストラリア人も日本人もほと んどが知らない時代と環境における音楽的体験である。
 
第二次世界大戦前のオーストラリアにおける数千人もの日本人の存在や体験は、単に何 十年も昔のことだというだけでなく、特に終戦によって、ますます遠いものとなってしまっ た。大戦中に、ほとんどの日本人、日系人が拘留され,終戦後に日本に行ったことすらなかった者で さえも強制送還されたのである。これによって、大戦が残した多くの傷痕と同様に、オース トラリアにおける日本人の歴史は真っ二つに分けられ、その前半はほとんど誰も知らない ものとなってしまった。
 
 
論文集・研究グループ、『音楽コミュニティとマイノリティ ——多文化共生の実践と課題』から。ヒュー・デフェランティ 代表
 
子供の誕生会にて、曾野家宅の前に立つ夫婦人たち。白人の女性が一人参加していることがわかる。1940 年 4 月 曾野豪夫 2000『写真で語る日豪史』 神戸、六甲出版

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